
現在、第2子を妊娠中のわたくし。二人目の妊娠が発覚したときに「あぁ、これでもう悩まなくていいんだ!」とせいせいしたことをよく覚えています。
というのも、現代女性の人生は大きな決断の連続!
- 結婚するか
- 子どもを産むか
- 子どもは何人もうけるか
- 子育てのためにキャリアをセーブするか
などなど……今でこそ「ライフステージを左右する意思決定のプレッシャー」から解放されて肩の荷が下りたわたしですが、20代以降は嫌というほど悩んできました。
これまで悩んできたこれらの選択について、わたしなりの考え方や、結論に至った過程を振り返ってみたいと思います。
結婚するか、しないか
現代女性のライフステージにまつわる大きな決断として、まず降りかかってくるのが「結婚するか/しないか」問題です。

付き合って10か月ほどの彼氏=現夫と、23歳で結婚を決めたわたくし。小さい頃から結婚願望はなく、なんとなく自分は「一生仕事に打ち込んで、友達や犬と楽しく生きていくんだろうなぁ」と思っていたので、いざ結婚の選択肢を目の前にしたときはおののいた記憶があります。
が、結局のところ結婚にはそこまで悩まなかった記憶。というのも、
- 当時の彼氏=現夫とはとても気が合って、「もし結婚するとしたら、限りなく理想に近い人」と確信できた
- 結婚しても、大きな引っ越しやキャリアチェンジの必要がなかった
- 親戚にバツ2で人生を謳歌しているおばさんがいることもあり、「ダメだったら離婚すればいいか」と離婚に全く抵抗がなかった
こうした理由から、当時のわたしにとって結婚は「取り返しのつく」「大きな生活の変化は伴わない」決断でした。それなら、せっかく好きな人が誘ってくれたんだし、してみるか結婚!といった具合です。
でも世の中には、
- 結婚=離職や夫の転勤についていくなどキャリアチェンジを伴う
- 結婚=相手親との同居が伴う
という人も多いわけで、そうなってくると一気に問題は複雑になってきます。わたし自身、結婚=仕事や住む場所を大きく変える必要がある立場だったら、少なくとも23歳で結婚の決断はできなかったろうなぁと思ってしまいます……。
子どもを産むか、産まないか
「産む、産まない」の悩みは本当に重たくて、この命題には数年にわたりメンタルを削られ続けました。
産んだら自分のお金と時間を使って責任をもって育てないといけないし、産まずに後悔したとしても年齢のタイムリミットはあるし……。どっちの道を選んだとしても、圧倒的に取り返しがつかないのがしんどいところ。

しかも、子育ては20年かかる一大プロジェクト!費用も一説によるとトータル3000万円かかるらしいし、妊娠・出産の身体的負担は未知数だし、障害をもった子が生まれてきた場合はどうなってしまうのか……もはや慎重になる理由しかありません。
しかも我が家の場合、出産に前向きではないわたしに対し、夫は子どもを熱望していました。好きで結婚までした相手の人生を左右する大きな希望を、自分の一存で叶えさせないことの罪悪感ときたら……!これも本当に耐えがたかった!
このあたりの葛藤については「子供は欲しくなかったのに産んだ理由と、産後の正直な感想」の記事で詳しく書いたけれど、最後はなかば「えいやッ!」「ええい、ままよ!」な勢いで妊娠してみたのが正直なところ。
自分がどうしても子育てに向いておらず親としての責任を果たせなかったとしても、子どもが不自由しないだけのお金と人手(=夫の育児フルコミットの確証)が揃っていたのも、決断できた大きな理由です。

余談:育児、別にそこまで大変じゃなかった
ちなみに、いざ生んでみての感想としては「育児って、別にそこまで大変じゃないな」という拍子抜けにも近い感覚です。
産む/産まない問題に悩んでいた頃は意思決定の材料に飢えていたので、子育て中の人のSNSやヤフー知恵袋を読み漁っては「こんなに大変なんだ」「産んで後悔している人もいっぱいいる……」などと恐怖していました。
が、冷静に考えてそれってかなり偏った情報の取り方です。匿名で思いの丈を吐き出せるネット上には、現実では言いにくい愚痴や悩みが集まりがち。リアルな世の中を見渡せば、大多数の母親は子どもを産んでもまぁ楽しく暮らしているし、ちょっと嫌なことがあっても家族や友達に話を聞いてもらって、それでおしまいです。
わたし自身、子どもに対してイラっとしたり育児に疲れたりする瞬間はもちろんあるけれど、普通に会社で働いていても同じようなストレスはありふれています。

だいたい何千年も前の人類だって、電気も病院もAmazonもない環境下で子どもを産んで、野生動物から逃げつつも子育てしていたわけです(すごすぎ!)
御年93歳のわが祖母だって、布おむつを縫うことから始まり、スーパーがないので毎日複数のお店をはしごして食材を仕入れ、自転車も車もタクシーもない、実家の助けや夫の育児参加ももちろんゼロな環境で3人を育て上げています(えらすぎ!!)
何が言いたいかって、平均的な令和の日本人なら、育児が人生をメチャクチャにするような負担になる可能性は低いんじゃないかなぁということ。
もちろん生まれてくる子どもの特性はさまざまだし、もし障害児だったら?などと考えると安易な断言はできないけれど、一時期ネットの見過ぎで「子供なんて産んだら人生がくるってしまうのではないか?!」という恐怖に本気で駆られていた自分は、今思えば現実を無視した過激思想者だったなぁと思います。

子どもの人数はどうするか
1人目を妊娠して産む/産まない問題から解放されたと思ったら、すぐに「2人目どうするよ問題」が降りかかってきました。わたしは2人姉妹だったこともあり、なんとなく「産むなら2人以上が“正しい”のでは」的な価値観を内面化してしまっており……。
- 妊娠したくてもできない場合は?
- 2人という数字の根拠は?
- そもそも人生における「正しさ」って何?
などツッコミどころは無数にあり、全く合理的ではない思い込みという自覚もあるものの、こればかりは理屈じゃないのでどうしようもない。他人の子供の数なんて全く気にならないのに、自分のこととなるとどうしても引っかかってしまうんですよね。

じゃあ産めばいいじゃん、という話なんだけれど、問題は仕事との兼ね合いです。子ども1人ならまだしも、2人以上になってくるとおそらくキャリアの調整は免れません。それでも2人目に臨むのか?には大いに悩みました。
で、悩んだ結果、最悪自分が専業主婦になったとしても子ども2人を育てるお金は何とかなりそう、それならあとは天にまかせて授かれたら産んでみよう!と決断。
ただし、子どもの人数が不確定=将来のキャリアプランが不確定な状態が長期間続くストレスには耐えられそうになかったので、「このタイミングまでに授かれなかったら子1人の人生を楽しもう」と夫婦で決めて、2人目の妊娠にトライしていました。
家庭のためにキャリアをセーブするか
2人の子供を育てることがほぼ確定した今、直面しているのが「家庭のためにキャリアをセーブするか/する場合はどう調整するのか」問題です。女性が家事・育児のためにキャリアを調整する(=働き方を緩める)場合、問題となるのは主に2点。
- 金銭的な問題:時短勤務やパートを選んで収入が下がっても大丈夫?
- やりがいの問題:フルタイム正社員を辞めたり、マミートラックに乗ったりしても自尊心などメンタルに支障はきたさないか?
わたしの場合、有り難いことに前者はクリアしているものの後者は大問題!小さい頃から自分は仕事を中心とした人生を送るものと思い込んでいたので、仕事で成果を上げていない自分に価値を認めるのは、正直けっこう難しい。
仕事で結果が出るとすごく嬉しいし、クライアントに喜ばれると「わたしったらやっぱり才女だわん」と安易にはしゃいでしまいます。ある程度の金額を稼いでいることには金銭的な価値だけでなく、「自分には稼ぐ能力がある」と思わせてくれる精神的な価値があり、わたしにはこれがとても重要なのです。
もちろん家事や育児などのケア労働も意義深く、無くてはならないもの。今みたいにやりがいを持って働ける大人になれたのも、しっかり育て上げてくれた専業主婦の母のおかげです。わかっちゃいる、わかっちゃいるんだけれど、なかなか心は割り切れないのよね……。

2人目を妊娠した時点でキャリアをセーブする覚悟はできた(というか、体力キャパ的にせざるを得なかった)ので、あとは今後、どういう方向性でキャリアを調整していくかを模索する段階です。
2歳の長女を育てつつ第2子を妊娠している現在は、時短で勤務中。それに加え、副業も細々と継続しています。理想は副業を本業にして個人事業主としてフレキシブルな働き方を実現し、そこそこの収入も維持することですが、そんな上手い話があるのか……?
2人目の産休・育休中にいろいろリサーチして、仕事のやりがいも、家庭に割く時間も確保できる方法を検討したいところです。

正解のない問題だからこそ……
こうして振り返ってみると、やっぱり女性の人生はヘビィな意思決定が多すぎ!取り返しがつかなかったり、タイムリミットがあったり……本当に気の重い決断ばかりです。
もちろん男性にとっても結婚や子どもを持つことは大きなイベントだけれど、ライフステージの変化に伴うしわ寄せはどうしても女性に偏りがち。まだまだ男女平等ではないなぁと思ってしまいます。
いずれにしても重要なのは、
ライフステージにまつわる選択に正解はない
ということ!結婚した方が幸せなのか、子どもがいない方が幸せなのかは「人による」としか言いようがありません。どんなにネットを漁っても答えなんて見つからなくて、最後は自分で選ぶしかない!
そして、一度決めたらなるべく後ろは振り返らず、他人と比較するのもやめて、自分の選んだ道を正解にしていくしかないのだなぁとあらためて思います。

